新町の母ひろみには、目標としている人がいる
その人は2年前にこの世を去った叔母
100歳という人生を生きぬいた叔母
私が目標とする人だ
田舎生まれ、田舎育ちの私にとって都会というものは、私には関係のない遠い世界だった
そんな私にとって、都会のなかで生活している叔母は、衝撃的な生き方を教えてくれた人だった
田舎の閉鎖的な考え方は全く持っておらず、常にポジティブであり、常に生き生きとしていた
あまりに私たちとは違う感性を持っていた叔母に対し、小さい頃は戸惑いを覚えた
そんな叔母家族が、毎年夏休みを利用して遊びに来る
泊まっていくわけではない
いわゆる自由にキャンプを楽しむ旅だ
それも50年以上も前に。。。
それだけでも刺激的な出来事だ
忘れもしない、さらに刺激的な出来事があった
私が小学生のころ、同じ年のいとこの男の子は。。
今では珍しくもないが、50年以上も前に茶髪のロン毛!
という、突拍子もないヘアースタイルで現れた
こわっ!不良か?
いとこながら、恐ろしかった
その姿を見た私の母は、ただ一言。。
大丈夫?ちゃんと学校行ってる?
それを聞いた叔母は、笑いながらこう言った
行ってないわよ~
この子が、人様に迷惑をかけず楽しく生きていれば、それだけでいいのよ、いいのよ~
と、笑って答えた叔母の言葉に世間体を重んじる母は、唖然としていたのを今でもはっきり覚えている
しかし、いとこと遊ぶと楽しく、おもしろく時間はあっという間に過ぎていった
その間も叔母はニコニコ笑って、時には一緒に遊び、本当に楽しそうだった
その姿を見たとき、私は叔母が本当に心から子供を愛し、信じているのだと。。
その後、成長した茶髪のロン毛小僧は。。
その面影はなくなり、真面目な好青年となっていた
親を大切にし、親の仕事を引き継ぎ、経営者として頑張っている
そして、子供たちに囲まれ、楽しい老後を送り、笑いの耐えなかったという叔母も、100歳という年には勝てなかった
幸せだった、ありがとう。。と言い残してこの世を去った
お葬式もとても賑やかく、笑い声が葬儀会場に響いていた
きっと、あの世で叔母も笑ってみてるのだろう
いいのよ、いいのよ
楽しく幸せなら、それでいいのよ
そう言っている叔母の声が聞こえる。。
叔母のように家族を愛し信じ、人を大切にし、最後の時に幸せだった、ありがとう。。と言える人生を送りたい
そして、いつの日かあの世で叔母にあったとき、ポジティブに楽しい人生を教えてくれてありがとう!と言いたい